29日目

2015.3.25  29日目


 今日は10:10から口頭の試験があったので、少し早めに起きて発音の確認をして支度をしました。先に口頭試験を済ませた友達曰く、教科書の内容というよりは、そこから応用の形で質問されるからあまり根つめて勉強すると逆に困ってしまうかもと言われていたので、内容を少しと主に発音を重視して勉強しました。10時ごろの教室に着くと、ドイツ、アルゼンチン、イタリア人の学生三人が授業をしていて驚きました。本当は今日も8001000に授業があったみたいでしたが、うまく情報が伝わらず日本人組は一人も来ていませんでした。少し恥ずかしかったです。明日も授業があることをみんなに伝えてくださいと言われ、私はできるだけ多くの人に情報を回しました。この時に初めてドイツ人の学生さんと話しましたが、すごく美人で直視できないほどでした。少しドキドキしながら一人で口頭試験の先生を待っていると、すぐに来られて、紙を多くの中から一枚選ばされました。そこにはお題とそのテーマが書かれており、10分間そのことについて考えなさいということでした。10分後試験が始まりました。試験の内容は以下のような感じでした。

1. 5つの中文を朗読すること
2. 教科書の内容に沿った質問に対して、個人の意見で答えること(5問ほど)
3. 先ほどの10分で考えたこと発表すること

思っていたよりも先生がゆっくり話してくださったので、質問は全て聞き取ることができました。ただ緊張したのは、自分の発音だけです。先生は意味さえ通じれば何も言いません。自分でなんとなく間違っている気がしても、発音に関してはスルーされるので、そこだけが不安でした。

 試験はすぐに終わって、私なりには良く話せたかなと思ったので、満足しながら逸夫楼を出ると、真正面のベンチに同じクラスの学生たちがいました。ドイツ人の米拉、アルゼンチン人の多利(ヴィクトリア)、イタリア人の波(レディツィア)でした。私は迷うことなく駆け寄り話しかけました。最後のチャンスかもしれないと思ったからです。するとみんな優しく微笑みかけてくれました。特に米拉はドイツ人ということもあり大人っぽくて私の気質も理解してくれていたので話しやすかったです。普段のクラスの中では私は積極的に話すタンティエンとは対照的に、すごくおとなしく見えていたと思います。あとの2人はフランクな感じでタンティエンみたいな人たちでした。話すときは基本的に中国語で話しました。ほとんど米拉と話しましたが、ドイツ人としかも中国語で会話が成り立っていることに感動し、やはり言語の凄さを感じずに入られませんでした。また彼女の美しさに見とれてしまい、これまでにないほど幸せな気分がしました。明日は授業の後にクラスの食事会があります。その時には少しドイツ語も話してみようかなと思います。

 食堂でタンティエンとゴンダオを待って一緒にご飯を食べました。プリペイドカードの残高をなるべく少なくして帰りたかったので三人で色々と考えながら注文しました。私はあと14元残っているので、一食とソフトクリームが食べられるかな?くらいです。今思えば食堂のご飯の値段はすごく安かったのです。だいたい一食10(200)で食べられるので、日本と比べると半分以下かもしれません。もうすぐ食べられなくなる本場の中国料理をゆっくりと味わいながら食事をし、そのあとは2人とは別れ、私は丁先生の奥さんと頤和園に行くことになっていたので、その支度をしました。他の子たちは先週の日曜日に行っていますが、私は上海から帰ってくるところだったので行けてなかったため、今回行かせていただくことになったのです。

14時に北宫门集合だったので13時過ぎに出発しました。余裕があると思っていましたが、2回も乗り間違えてしまって大幅に時間を使ってしまいました。でも、すごく感心したのは、北京の地下鉄はとても発達しているので、間違えても待ち時間もあまりかかることなくすぐに戻れてすごく便利だということでした。改めて北京の発達を直に感じました。14時ごろ北宫门につき、奥さんと合流して頤和園を目指しました。先生の奥さんは私と感性が似ていて、奥さんが見せてくれるところはどれも私にとってもすごく好きなものばかりでした。例えば、瓦の上にいる神様や動物、満開の桃の花とその奥に見える古典的な橋、古い故事のある建物や銅像、歴史観あふれる建物、そして特に今日は「Dragon Lady」という言葉をたくさん使って案内してくれました。Dragon Ladyとは、乾隆の時代の皇后様のことで、光緒皇后という人のことだそうです。頤和園の中の一角に龍と不死鳥の銅像がありました。当時政治を動かしていた重要な建物の前にあり、その意味は、不死鳥が女性を表し、龍が男性を表して、龍が不死鳥よりも高く飛ぶことから男性優先をうたったものだそうですが、Dragon Ladyはその男性をも超える女性を意味しているようにも見えます。それを聞いた時は感動しました。

 頤和園は大きな公園で大きく3つの部分に分かれます。中でもとりわけ重要なのはさっき書いた皇后様が生活なさっていた部分です。また、頤和園には昆明湖という人工の湖があり、そこから見える眺めは最高でした。また盧溝橋と似ている十七孔という橋もあって雄大な感じがしました。ゆっくりしたいときにくるとすごくいいと思います。たくさん歩きましたが、疲れも感じないくらい私にとって印象深い場所でした。皇后様が通ったという通路にも行ってみましたが、やはり中国文化は趣を重要視しており、どこもすごく趣深かったです。残念ながら時間が遅かったためにいけなかった部分もありましたが、運のいいことに、最後に日本が日中戦争前に中国に送った軍艦を見ることができました。錆びていて歴史を感じましたが、そう遠くない歴史であることや実際に起こったということを冷静に考えてみるとなんだか心が痛くなりました。これからの日中関係を変えて行くのは私たちの世代です。いつか分かり合える日がくることを切に願っています。


  頤和園を歩くとき、私は一生懸命中国語を使う努力をしました。授業のおかげで話しやすくなったのです。奥さんが聞き取ってくれた時はすごく嬉しかったです。私の将来の相談も中国語でさせてもらい、奥さんのアドバイスも聞き取れました。私自身すごく成長したと思います。頤和園での旅は私にとっていろんな意味で盛りだくさんでとてもいい経験になりました。


 帰りにご飯を食べに行きましたが、頼んだものがすごく辛くて久しぶりに唇が痛くなりました。でもこれも中華料理だと思えばなんだかこれ食べることができてよかったなと思いました。

 奥さんと別れてからはすぐに寮に戻ってすぐに寝ました。テストが終わった達成感と頤和園への満足感で嬉しくなりながら眠りにつきました。