第2回島根大学中国語技能コンテスト




2016年留学 11日目

201635() 留学十一日目


 今日は朝からみんなで頤和園に行きました。世界史の授業で西太后について習った時に見た美しい船の写真の本物が見られると言うことで、とても楽しみにしていた場所です。ただ今日の天気はすごく風が強いせいでかなり寒かったです。松江みたいだなと思いました。みんなで地铁に乗って頤和園まで行くと、さすがは観光地、週末ということもあり多くのツアー客が来園していました。私たちは丁先生のガイドを聞きながら、頤和園を回っていきました。
 頤和園はもともと乾隆帝の時代に清漪园という別の庭園として作られていたものを改修したものです。1860年のアロー戦争で英仏軍に破壊されてしまった清漪园を、西太后(慈禧太后)が海軍の資金という名目で3000もの銀を投じて改修させ、頤和園と名付けました。その後また破壊されてしまうのですが、その時も後に改修し現在まで美しい状態を保っています。


 北宫門からスタートして中に入っていくと、人達がみんなでエアロビクスみたいなことをしていました。また別のグループは羽の付いた小さい玉みたいなものを蹴鞠みたいにリフティングしてパスする遊びをしたりしていました。市民の憩いの場となっているのがよく分かる光景だと思います。
そして歩道をゆっくり歩きながら様々な建物を見ていきました。大体どの建物も四色の色が使われています。赤、青、緑、金色です。赤は貴族の色、青は天の色、緑は満州族の色、金色は王族の色だそうです。清朝は満州族の王朝なので、こういった配色で建物が建てられています。どれも本当にすごくきれいで迫力があり、まさに豪華絢爛です。日本で言うと、栃木県の「日光東照宮」の陽明門みたいな建物がたくさんあるような感じです。道もきれいに色のついた石で舗装されており、めでたい文字なども石を並べて書かれているなど、細かなこだわりを感じました。
いろんな建物を見ましたが、特に印象に残ったのは「仁寿殿」です。西太后が政務を行った場所で、豪華さは他の建物を圧倒するほどです。ここには麒麟や鳳凰、龍の銅像が設置されています。特に鳳凰は重要な生き物で、女性の象徴です。一方龍は男性を表しています。ここに設置された銅像の鳳凰の方は頭を上げ、龍の方は頭を下げています。これは女性の権力の方が強いことを表しているそうです。西太后の権力を一番見せつけている場所だなと思いました。



もう一つ印象に残ったのは「长廊」です。長さが728mもあるこの廊下はギネス世界記録にも認定されているそうで、実際歩いていると「いつ終わるのかな」と思うくらい長かったです。この廊下にも様々な装飾があり、特に壁画は見応えがあります。絵の題材は昔の詩や小説のワンシーンなどで、日本人もよく知る「西遊記」の絵も見ることが出来ました。全て違う絵なので、たくさん中国の古典文学を読んでから行くとさらに楽しめそうだな、と思いました。
西太后は本当に芸術が大好きな人だったらしく、頤和園の中に多くの絵があったり、京劇を見るための建物があったりします。国のお金を使いこむのはいかがなものかと思いますが、こんなに芸術に浸れる場所で過ごせるのは羨ましいことだと思います。

昆明湖の方を歩いていると、白い石でできたきれいな船がありました。これが「石舫」で、私が高校生の頃世界史の授業中に写真で見た船です。後で丁先生のご実家に行った時に先生の奥さんから教えてもらったのですが、西太后はこの船を月見の為に作らせたのだそうです。なんとも贅沢な話です。また、この石舫を引っ張る動力として、日本から送られた蒸気船を使っていました。この蒸気船をもし解体して研究していれば、もっと海軍の技術は向上し日清戦争で負けることもなかったのではないか、というのが一般的な認識です。だから西太后は批判されています。私も確かにそうだろうなと思います。でも、そういった歴史を抜きにして一つの芸術品としてこの船を見ると、洗練された本当に美しい船だなと思いました。ちなみに動力にされていた蒸気船も模型が展示してあります。先生によるとこの船は小倉の八幡製鉄所の鉄を使って江田島造船所で作られたものなのだそうです。

そのほか、庭園の美しさを堪能したりして歩き続けました。長時間歩き続けたのでかなり疲れましたが、中国が世界の列強国に負け疲弊していく前の、最後の権力の象徴を見ることが出来て本当に有意義な時間を過ごせました。

寮に戻ってからは、丁先生のご実家に行きホームステイをすることになりました。そのため先生と車で移動しました。到着すると先生のお父さんが锅贴を作ってくださっている最中でした。その後、先生や奥さんと今日の話などをした後、みんなでご飯を食べました。锅贴の他、豆腐干の炒め物などいろんなおかずを出され「食べて食べて!」と沢山勧められました。どれも美味しかったのですが、おなか一杯になってしまったので「我吃饱了」と言うと「你吃得很少」と言われてしまいました。私の胃の許容量は、中国でご飯を食べるにはまだまだ足りないみたいです。お父さんやお母さんがいろいろ質問してくださったり、お話をしてくださったりしたので楽しかったです。また、私にはスピードが速すぎて丁先生たちご家族の言っていることが聞き取れないことが多かったので、皆さんがしゃべっている様子を見ながら、中国の家庭はこんな雰囲気でおしゃべりするんだな、としみじみ思いながらご飯を食べました。

明日もほぼ一日お世話になるので、どんな一日を皆さんが過ごしてらっしゃるのかを知るのがちょっと楽しみです。

投稿者:岡 明歩

編集者:丁 雷









2016年留学 10日目

201634() 留学十日目
 
  今日も相変わらず空気はとても悪いです。マスクが欠かせません。北京市民の皆さんも結構マスクをしておられます。島根のきれいな空気が恋しいです。
 今日は午前中授業を受けた後、午後は盧溝橋に行きました。世界史でも日本史でも登場する盧溝橋事件については、日本軍と中国国民党革命軍がここで衝突し日中戦争の引き金となってしまった、ということを中学・高校時代に授業で習いました。



 まず最初に盧溝橋に行く前に、記念館を訪れました。ここには日中戦争の時の多くの資料が保存されていて、日中戦争やその後の中国が歩んできた歴史を知ることが出来ます。ここまで日中戦争と書いていますが中国では日中戦争とは言いません。「抗日戦争」と呼びます。また盧溝橋事件も「七七事変」と呼んでいます。
 ここでまず、中国側がいかにして日本軍と戦ったのかがパネル展示などで示されているのを見ました。抗日戦争時に身につけていたものが展示されていたり、多くの書簡や当時の新聞も展示されていました。驚いたのは、日本語の資料が多いことです。特に戦時中、日本国内の新聞社が国内に戦況を知らせていた新聞をここでいくつも見ました。当時の日本側はどんな様子だったのかを展示しているのだと思いますが、資料の説明は特になく、中国語訳もされていなかったのでどういう意図なのかは分かりかねました。日本軍に勝利した作戦についてはプロジェクターでジオラマに映像を映して紹介していたりしたので、状況が一目で分かるようになっており、どんな風に作戦が進められたのかがとても理解しやすかったです。

 ここで「やっぱり中国の資料館だな」と感じさせられたのは、共産党に関する資料展示がとても多いということです。日本では、実際戦ったのが国民党なので盧溝橋事件直後の共産党について知っているような人はなかなかいませんが、ここでは共産党が抗日義勇軍を全国で組織し戦ったことが最初から事細かに説明されていました。また南京政府が日本のとの交渉妥協しようとしたことに強く反発し、反対宣言をした文書なども見ました。とにかく毛沢東関連のパネル展示が多いな、と多くの日本人がここに来た時きっと感じると思います。
 また、民間人の戦争に協力した人たちの中で特に行動が評価されている人は英雄として讃えられ、展示コーナーが設けられていました。名前が分からなかったのですがある女性が「英雄之母」として胸像が置かれているのを見て、日本じゃこういう展示はそうそう見ないな、と思いました。日本の戦争資料の博物館では民間人は「巻き込まれた犠牲者」として紹介されることがほとんどです。戦争そのものを肯定しないので、自分の国の軍に協力したことを評価するような展示がまずありません。民間人が民間人を助けた話なら聞いたり展示がされてあったりします。こういう自分の国が関係している戦争への意識の違いが日中間であるのかな、と思いました。

 展示を見ている中で一番見るのがつらかった展示は「南京虐殺」で殺戮に巻き込まれた民間人の写真でした。日本ではあまりにショッキングな写真には規制がかかるので目にすることがほとんどありません。なので暴行を受け亡くなった人々の写真は初めて見ました。あまりに痛ましい写真が多かったので一緒に行った他のみんなもショックを受けているみたいでした。特に子供の写真は見ていてすごく胸が痛くなりました。中国の人たちからすると、「こんな酷いことが出来るなんて、日本人は恐ろしい」とでも思われているのでしょうか。もしそう思われていても何も言い返せないな、というくらいに凄惨な写真でした。日本の教育では私達若者に何があったかは教えてくれますが、当時のむごい現実を突き付けてくるようなことはしません。だから現実味もわかず、歴史認識が甘くなっているのかもしれません。
 その後は世界大戦後共産党政権へ権力が移り変わり、国内の様子が変わっていくその変遷が紹介されていました。パネルには多くの共産党の中核を担う人々の写真があり、引率の中国人学生さんが急に「ねえ、習近平は分かる?」と聞いてきたので、もちろん知っているけどそれがどうしたのかと聞くと、「これは彼のお父さんだよ」と一枚の写真を指さして教えてくれました。親子ともに共産党の重要人物なのだとこの時初めて知りました。
 最後は日中の和平に関する展示がありました。天皇の御言葉をはじめ、田中角栄元首相など日中の関係回復やその後の関係維持に貢献した政治家たちが紹介されていました。平和を望むのはどの国も同じなのだな、と感じました。

 記念館出口に来館者のメッセージをTwitterのタイムラインみたいに見ることが出来るモニターが設置されていました。そこには大体「歴史を忘れない」みたいなことを書いている人が多かったのですが、「中国大好き」とか「中国万歳」みたいなことを書いている人もしばしばいて「钓鱼岛(魚釣島)や他の領土が早く返還されますように」と書いてあるのを見た時には、ちょっと複雑な気分になりました。
 記念館を出た後は皆でその盧溝橋を歩きました。橋自体は元時代からあり、狛犬見たいなものが手すりの柱に付いている装飾されたきれいな橋です。こんなところで軍と軍の衝突があったのかと思うと、悲しい気持ちになりました。


 今日は日中の歴史認識の差や、中国の歴史の描き方が少し分かりました。正直読めない資料もたくさんあったので理解しきれていないところもたくさんありますが、お互いに歩み寄る為に若者の意識の差を縮める必要があるな、ということはとてもよく分かりました。日本に帰って家族にもここで見たものの話をしたいな、と思いました。

投稿者:岡 明歩

編集者:丁 雷

2016年留学 9日目

201633() 留学九日目

 今日の朝は、昨日同屋に「明日起きたら私も起こしてくれない?」と頼まれていたので、同屋を起こしてあげました。でも私が6時に起きるからその時に同屋も起きるという話だったのに、結局彼女がちゃんと起きたのは7時前です。あまり焦ってない様子でしたが、あれで間に合ったのか、ちょっと心配です。

 今日はすごく空気が悪くて、空も霞んでいました。日本でよく中国のニュースを伝えるときに使われる映像とほぼ同じような感じです。「PM2.5」という有害物質が日本でも取沙汰されていますが、日本でニュースを見ている時はあまり身近な問題だと思えたことがありませんでした。でも実際そういう空気の中で生活するとこの問題の深刻さを考えさせられました。ということで今日はきちんとマスクをつけて授業に行きました。

 口语の授業では4人グループでのディスカッションなどもやりました。そもそもディスカッションを日本語でやるのも結構苦手なので、ちょっと難しかったです。先生には「皆さんもっと喋って!Dクラスの人達とのレベルの差が出るのは、話す量だよ!もっと喋ればレベルの差も無くなってくるよ」というようなことを言われました。听力の授業は前回ほど難しくは感じなかったのですが、やっぱり多くの情報を聞き取るのは大変です。でもこの力が無いと、外に出てお店の人と話をして買い物をしたりすることが出来ないので、努力したいと思います。

 授業の後は空気が悪すぎて先生に自習するよう言われたので、寮の部屋で勉強した後少し昼寝をしました。その後佐藤高桥と一緒に食堂で軽くご飯を食べて、汉语桥に行きました。


 今日の汉语桥はすごく人が多かったです。そのためか、にぎやかになって楽しかったです。私いたグループでは、北语に一年半通っているスーダンからの留学生がすごくおしゃべりな人で、場を盛り上げてくれました。あと、火曜の汉语桥で知り合いになった韓国人留学生の子ともまたお話が出来ました。ここで知り合いをもっと増やしてたくさんの人とおしゃべりをして話す練習を重ねていきたいです。

投稿者:岡 明歩

編集者:丁 雷