: 懐古尋道
懐古尋道に寄せて
古を懐しむ中国の詩文が古来多い。白居易の「往事渺茫都(びょうぼうすべ)て夢に似たり」のような感傷があれば、楊慎の「古今多少の事、都て笑談の中に付す」のような冷徹な諦観もある。
二十一世紀も十五年経った今、浩瀚で多彩多様な中国の伝統文化をいかなる視点で顧み、いかなる目的でそれを吸収するべきか。これは、文化観にかかわる問題であり、中国語実用化プログラムの一科目として開講する国際文化情報A(中国語圏)の授業で直面せざるをえない課題です。
歴史や伝統文化に触れて、人間はつねに感傷や諦観の念が生じるが、それらを超えるもの、すなわちグローバル時代を生きるわれわれにとって、昔日の文化をただ素養・情操的なレベルにとどまらず、我が精神的な力に転用し、または現代人の神器として借用することができれば、それこそより智的で有意義であろうと考えています。
このような旨により、本授業では、中国伝統文化の醍醐味を楽しむと共に、可能なかぎりそれの神髄たるものを学生諸君といっしょに探ってみたいです。それゆえ、本授業のブログ名は「懐古尋道」としました。
学生のみなさん、楊慎の「看るに慣れたり、秋月春風を」的な境地に立って、中国の伝統文化をたどり、先人の知恵や余徳を慕いつつ、その中からわれわれを啓発しうる道をいっしょに尋ねていきましょう。