20日目

2015.3.16  20日目




 今日もいつも通り登校しようとしましたが、外の霞み方が尋常じゃなくて驚きました。しかし教室に向かうと、クラスも打ち解けあい、みんなで挨拶もするようになっていい雰囲気です。授業が残り少なくなっていることもこの日記を書いているときにしか感じず、普段はこの時間が続いていくような気がしてなりません。そう思うと、このまま終わっていいのかという思いが湧き上がってきました。私は初対面の人と話すのは日本語では全然緊張しませんが、英語や中国語ではまだ抵抗があってすごく恥ずかしくなってしまいます。でも他の子たちを見ているとどんどん自分から話しかけたりしていて本当にすごいなと感心させられました。残り少ない生活の中で、私も出来る限り積極的になろうと思います。まずは自分に自信を持つことから!です。

 今日は授業が終わった後にポルトガル人のクラスメイトとタンティエンとお昼を食べました。タンティエンの英語は私よりもすらすらで本当にすごいと思います。でも、私はタンティエンに頼り切ってしまい、自分で言えることも早く話せないからとタンティエンに頼ってしまいました。すごく後悔しています。自分のレベルをすぐに変えることはできませんが変えることができるのは話す回数だと思います。英語も中国語も自分のレベルを恥じずに精一杯伝えればきっとわかってくれるとやっと思うことができました。今度こんな機会があれば私もたくさん話しかけたいなと思います。またこのような機会も自分で作って行きたいと思います。

  寮に帰って洗濯をし、少しだけタンティエンとUNOとトランプをしました。彼女は昨日、盧溝橋付近の売店で「爸爸去哪儿」のトランプを15元で手に入れて大喜びしていたのですが、丁先生に聞くと、本当に高すぎると言われたそうです。タンティエンは初め、20元だと言われて値切って15元にしてもらいましたが、先生の奥さんが聞くと10元だと言われたそうです。ここで日本人だからと高く値段を言われたことが発覚しました。少し残念ですが、彼女は満足したと言っていたのでよかったです。そのトランプによって楽しい時間も増えたし、彼女を見ていると物はとりようだなとつくづく感じました。

  夕方になり、ご飯を食堂へ食べに行きました。いつも通り食事を済ますと、飲み物を忘れたことに気づき、同屋が勧めてくれた飲むヨーグルトを買ってみました。すごく濃厚でまるで普通のヨーグルトでした。部屋に帰った時、しっかり気づいてくれて、美味しかったよというとすごく喜んでくれて嬉しかったし、距離が縮んだような気がしました。

私の部屋に戻る前にタンティエンの部屋に行ってトランプやUNOをしました。なかなか面白くて、しかも三人とも負けず嫌いなので白熱しました。またやりたいです。


部屋に戻ると同屋とその友達がいて少し話しました。棗のケーキを作ったそうで、私にも分けてくれました。こんな風に関係が広がって行くのも素敵だなと思いました。今日は初めて同屋とたくさん話せて、いろんなことが聞けました。経歴や恋愛、韓国の年の数え方など興味深いものばかりで本当に面白かったです。これからもずっと仲良くしていきたいです。

19日目

2015.3.15  19日目


  今日は9時にロビーに集合して盧溝橋に向かいました。地下鉄とバスを乗り継いで2時間ほどかかりました。バスに乗る時間は最後の1時間ほどでしたが、その途中で北京西駅を見ることができました。アジアで一番大きな駅だそうで、本当に大きかったです。ホテルとくっついているように見えて、正直どこまでが駅なのかはまだはっきりしませんでしたが、とにかく大きかったです。行きはゴンダオ一緒に英語と中国語だけを使おうと決めて話しました。やはり英語の方が使いやすいのですが、中国語や英語を使って話そうとすると、やはり頭をたくさん使うので少し疲れてしまいます。でも、話せるようになるにはこの繰り返ししかないのかなと思います。少しわかった気がするので、たくさん実践してみようと思います。


盧溝橋に着くと、まずは小さな町を通りました。ここも当時から残されておるそうで結構古い建物が多かったです。そこを抜けると門があり、門の先には広場がありました。その広場の両サイドには石を運んだり、加工したりしている人たちの銅像がありました。これが本当なら盧溝橋はいつ頃作られたのかと不思議に思いました。端の方へ行くと、ガンユエンさんが「端にはたくさんの獣の石像があって、橋の最後の部分には、橋を支える獣が描かれているんだよ。」と教えてくださいました。本当かなと思って見に行くと本当にいました。中国には日本にはない何か独特な考え方があるのかなとも思いました。盧溝橋からの眺めは美しく、とても戦争が起こったような場所には見えません。この橋の上を中国人学生の方たちと笑顔で話しながら渡りました。日中戦争はそう遠くない昔のことです。なんだか戦争の重たさを考えさせられ、さらに丁先生の「日本人が原爆のことを忘れられないのと同じように中国人はこの痛みを忘れられない」と言われた時は心にぐさっと刺さりました。橋の上には石畳が敷き詰められていたのですが、これは戦争の時に戦車が通った跡のようです。歴史を近くに感じました。

一通り往復してから少し自由休憩の時間がありました。私たちは盧溝橋の上から川沿いに遊歩道はあるのを知っていたのでそこに向かおうとしましたが、出口を出てしまわないといけなかったのでそこには行けませんでしたが、しっかりと外側から盧溝橋を見ました。教科書に載っていたのと同じ形をしていて、より一層ここにきているのだという実感が湧きました。いろんな歴史はあるけれど、私たちがにらみ合う必要はありません。真の友好は国民同士のつながりによってできてくるものだと考えます。これからの国同士の関係を良くするのは私たちの世代です。国籍は違えど、同じ人間で誰もが平和を望んでいます。このことを多くの人々に伝えたいです。

 バス乗り場の方まで帰ってきて、レストランに入りました。いつものように丸テーブル二つに分かれて座りました。私たちのテーブルには中国人学生は一人しかいませんでしたが、逆にいろんな話が聞けて面白かったです。中国でも北側と南側では文化が大きく違うことや方言も面白かったです。中国料理にも慣れてきましたが、食器の使い方が中国人と日本人では大きく異なっていて面白かったです。日本人は大きな料理を取り分ける時、小皿にとりますが中国人は小さなお椀に取りました。小皿は骨などのガラ入れに使うそうです。また、中国ではガラスのコップはビールを飲むために使うそうで、お湯やお水は小さな湯飲みに入れるそうです。料理の文化もまた違いがあって面白かったです。もちろん料理も美味しかったです。

  寮へ帰る間、今まであまり深くは話さなかったシャンティエンとたくさん話しました。今まではあまり勉強も好きじゃないのかなと勝手に見た目で判断してしまっていましたが、話してみるとすごく真面目で、彼は彼なりに自分の人生についてたくさん考えていました。歳は下ですが、いろんなことを吸収しようとするその姿勢に少し感化されました。まだまだ私にもいろんな選択肢があり、どの道を選ぶかは全て私次第だなと思いました。これも大きな勉強になりました。いろんな人からいろんなお話が聞けて嬉しいです。



 寮に戻るとここ最近の疲れが爆発してひどい頭痛を起こしてしまいました。原因は詳しくはわかりませんが、寝不足と休息不足なのかもしれません。一応薬を飲んで9時頃には寝ました。これからも自分の体調管理には気をつけようと思います。



18日目

2015.3.14  18日目


朝起きると隣にタンティエンがいて少し驚きましたが、そういえば天津に来ているのだと理解するまでに少し時間がかかりました。支度をして8:30ごろにホテルを出ると先生のマフラーがなくなっていることに気づいていたので、昨日来た道を戻ったり、スーパーに行ったりして探しましたが、見つかりませんでした。そのマフラーを借りていたタンティエンは落ち込んでいましたが、先生や奥さんのおかげで立ち直れました。

まずは、工芸品でできた館へ行きました。本当に全ての表面が磁器で埋め尽くされていて綺麗でした。正面に首のないお地蔵さんがたくさん置いてありました。頭を玄関の上の方に飾ると良いとされていたらしく、家族のためにと持って帰ってしまう人がいたそうです。これが現実だよと教えてくださいました。また、上に登ってみるとよく見えるのですが、たくさんの磁器でできた動物がいました。なんだかこの館を守っているようでした。また、縁側にいるお地蔵さんにご飯に見立てた天然石が置いてありました。綺麗だったし、面白いなと思いましたが、天然石がたくさん抜き取られていて、少し悲しい気分になりました。館の中には、元や明、清時代の家具が揃えられていました。つやつやとした木材がなんとも趣深かったです。また、家具の大きさから高さから当時の人の体の大きさを推測することができ、それもまたおもしろかったです。

















そのあとはイタリア風なところへ行きました。意大利景区みたいな感じだったと思います。ここが中国であることを忘れてしまうくらい欧州の空気が漂っていて気に入りました。しかし、これは植民地時代の名残であり、中国の方にとったらどのように感じるものなのかはわかりませんでした。少し歩いてセブンイレブンに寄りました。他の二人はおにぎりを買ったり、主食の蒸しパンのようなものを買ったりしていました。私も少し日本が恋しくなりました。

中国内戦を表す軍隊の像を横目に、今度は津门故里というところに行きました。横浜中華街や神戸の南京町を想像するとわかりやすいと思います。ここで奥さんとゴンダオは臭豆腐を食べていました。本当に臭かったし、一口食べるとその匂いが口の中に広がりました。二人は美味しいといって食べていましたが、私には到底口に合いませんでした。私とタンティエンは大きな綿菓子を買って半分にしました。日本のものよりも一本一本が細く、べっこう飴のような味をしていました。美味しかったです。麻花の本店を覗いてみたりお土産を見てみたりすると天津の方が北京よりも物価が安いことがわかりました。やっぱり北京は一番の首都なのだと改めて感じた瞬間でした。そのあとも、餅粉にお湯を入れて作ったものや豚のせんまい、酸っぱくて辛いこんにゃくなど変わったものをたくさん食べました。どれも日本にはない味わいで面白かったです。トイレにも立ち寄ったのですがあまりにも見るに耐えない光景だったので、入るのをやめました。これもまた現実なのかなと思いました。


次はご飯を食べに百貨店に入り香港料理?を食べました。すごく量が多くてみんなお腹がパンパンになるくらいでした。本来の香港料理は小さい小皿にたくさんの料理があって少しずつ分け合うようなものらしいのですが、少し違いました。また、私が食べたビーフンはカレー味で食べたことのある味でした。

少し休憩して商店街に行きました。有名な肉まん店の本店があるそうでしたが、お腹がいっぱいで食べる余裕はありませんでした。店内には大きな麻花や臭豆腐やソーセージがいっぱいあって、私は匂いにやられました。向き不向きがあると思います。














最後に、昔の天津の中心地に行きました。屋台があって午前に行ったところとあまり変わりませんでしたが、少し閑散としていました。でも、民間音楽が聴けたり、漫才が今も続けて公演されていることを知ったりしてなんだか昔の天津を感じているようで温かい気持ちになりました。



それから地下鉄に乗って天津駅に向かいました。切符の代わりにコインのようなものが出てきて、昨日も見ましたが、面白いなと思いました。確かに使い回しが効くので便利だなとも思いました。天津駅について大きな広場で休んでいるとヨーロッパ系の外国の方から声をかけられました。メールが受け取れなくて困っているので助けて欲しいとのことでしたが、彼も英語圏の方ではないようで、ちゃんと詳しい内容は聞けませんでした。助けずじまいで終わってしまいましたが、今でも彼のことが心配です。どこに行けばいいのかもわからなくなってしまっているのではないかと思うと本当に心配です。高の駅の方へ行って、夕焼けに包まれた川辺を見に行きました。本当にロマンチックで素敵な風景でした。柔らかな赤い光に照らされた水面や草、建物も本当に綺麗でした。



18時まで待ってまた高に乗って帰りました。みんな重い荷物を持って歩いていたため、疲れてすぐに寝てしまいました。北京について先生達と別れ、3人で五道口に着くとなんだか安心しました。U-centerで明日の朝ごはんとヨーグルトアイスを買って帰りました。ヨーグルトアイスはヨーグルト味のソフトクリームにたくさんお果物とナッツをトッピングしてくれて本当に美味しかったです。

寮に帰って思い返すと中国の力の大きさを痛感しました。天津はたくさんのビルが立ち並び、また観光地も日本の三倍ほどの大きさがあって、人口や面積も比べなくても結果が出てしまいます。今後の国際社会がどう動いていくかはわかりませんが、少なくとも中国の力がどんどん大きくなって日本に影響を与えることは間違いないと今日確信しました。そんな中で日本がどのようにして国を運営し、文化を守っていくかが重要なのだと思いました。