第1回島根大学中国文化講演会


最終の日

2015.3.27  / 2015.3.28  最終の日


 今日は6:30に起きて7:00からゴンダオと運動場でウォーキングをしました。はじめは、歩くだけのつもりでしたが、走りたくなって走るのと歩くのを一周ずつ交互に行いました。2セットした時点で少し疲れたため、運動場横のトレーニング器具のところへ行って筋トレをしようとしましたが、二人とも筋肉がなくて何もできませんでした。仕方なく、寮の裏手にある公園に行って老人用の運動器具で体を温めました。トータルで2時間ほどしましたが、朝の運動の心地よさを感じて気分が良かったです。

  帰ってきてすぐにシャワーを浴びて洗濯をしました。せっかくなので洗濯をして帰ろうと思いましたが、回したその瞬間に乾くか心配になりました。でも、夕方には乾ききっていました。本当に良かったです。しかし、少しハプニングがありました。洗濯が終わってから部屋の鍵が開かなくなりました。8階の服务员やフロントに駆け込みましたが、鍵に異常はないからとあまり話を聞いてくれませんでした。このままだと洗濯物も干せないしどうしようと思っていると、8階の服务员が部屋を開けてくれました。聞き取るのに時間はかかりましたが、理解できてよかったです。

 洗濯物を干して食堂へ行き、最後の食堂での食事をしました。私はどうしても小笼包が食べたくて買ったら、カードの残高が微妙になってしまい、どうしようと安いものを探していると、7(140)香茄子炒を見つけて買いました。量が多くて困りましたが、すごく美味しくてたくさん食べてしまいました。最後にこんなに安くて美味しいものに出会えるとは思っていなかったので、少し嬉しくなりました。

 そのあとはすぐに寮に帰って北海公园へ行く準備をしました。やっぱりドアが開かないので聞いてみると、ドアが壊れているそうで、午後に点検があるまでは毎回開けてあげると言ってくれました。同屋と不安になりながらもなんとか気持ちを切り替え、タンティエンと北海公园へ行きました。地下鉄を降りるとすぐにどのように行けばいいのかが分かり、二人でゆっくりと歩いて行きました。時間があまりなかったのと私の中国元の残高が少なかったこともあり、建物に入る券ではなく、その周りを歩ける票を買いました。少し残念でしたが、賢い選択だったと思います。建物に入れないとは言っても、幾つかのお寺には入ることができました。頤和園と雰囲気は似ていますが、もっと大胆に色使いがなされていて、その中に鎮座している仏様も青い頭をしていて斬新でした。湖辺を歩いて花や水の輝きに癒されながら公園を抜けました。敷地を出ると、地下鉄の駅がどこにあるのかわからないため、近くの人に聞いたりして進んで行きました。私たちが歩いた道は本当に北京らしい下町のようなところで、最後の最後に想像していた中国を体験できました。また、国家図書館や政治にまつわる建物など、重要な建物がたくさんありました。迷いながらも良い経験ができました。大分歩いて駅に着き北へ帰りました。
           
         
                                    
そのあとはティエンバンとその同屋とゴンダオとで蛙料理を食べに行きました。私は蛙が大好きです。魚のたらと鶏肉の中間のような触感で面白いので、もし日本でまた食べられるならまた食べたいと思うくらい好きになりました。ティエンバンと同屋はケンカするほど仲がいいという感じで見ていてほほえましかったです。いろんな人と交流できて本当に楽しかったです。

19時にみんなで休憩して帰国前の最終確認をする予定でしたが、約半分の人が遅れてしまって少し険悪なムードになりました。でも、そのために最後に気を引き締めることができたと思います。いいことばかりでないのが旅の定めなので、これもまたいい経験になりました。確認した後は部屋に戻って荷造りをしました。洗濯物をたたんで服や勉強道具をしまって日用品やお土産などをたくさん詰めていきました。同屋や後に入ってくる人たちのためにおいていけるものは置いて行こうと思いました。シャンプーやリンスを始め、シャワーを浴びる時に必要なものは置いていき、また日常的に使うティッシュや綿棒なども全部同屋にあげました。喜んでくれて良かったです。しかし残念なことに、同屋は今日パーティーがあるそうで22時頃に出て行ってしまいました。写真だけは撮りましたが、もっと話しができたらよかったなと思います。

準備をしているとJoyとその友達が部屋に遊びに来てくれました。泣きながら言葉を交わし、日本に来るときは私に連絡を、タイに行くときはJoyに連絡をと約束して別れました。本当に本当にJoyとの出会いはかけがえのないもので一生忘れないと思います。

ほとんどの荷物を詰め終えてゴンダオと一緒に売店へ行きました。夜2:00まで空いているのですごく便利です。明日の朝ごはんを買おうと思いましたが、なんだか無性にチョコがけの柿の種とプリッツが食べたくなって買ってしまいました。ちなみにプリッツは中国語で百力滋と言います。私の部屋に戻ってたくさん話をしようと思いましたが、すごく眠たくなって30分だけ寝ようということになり、1:30からアラームをかけて寝ました。そして気づけばもう3:45になっており、慌てて飛び起きて支度を始めました。集合がロビーに4:30だったので本当に焦りました。しっかり忘れ物がないかを点検してなんとか間に合い、ロビーへ向かいました。

  みんなもすっかり準備をしていて帰れる状態になっていました。先生はいませんでしたが、一緒に日本へ向かう大学院生の草くんや梁くんに式をしてもらいながらバスに乗り込み、出発しました。バスの荷物入れがやけに小さくて全部のスーツケースを入れることは到底できず、みんなで協力して積みました。協力作業はあまりしてこなかったのでなんだか楽しかったです。
 
 無事空港に着き、まず、違う飛行機で福岡へ帰るタンティエンと別れました。一ヶ月間ほとんど毎日顔を合わせ、持ち前の明るさと自信に圧倒されながらも、いろんなことに気づかせてくれたタンティエンに本当に感謝したいと思います。別れ際ゴンダオと三人で泣いてしまうくらいこれは素敵な出会いでした。一生忘れないと思います。
 そのあとは、丁先生と合流してチェックインをしました。本来スーツケースの重さは23キロまでですが、私や他の何人かはオーバーしていて超過料金が取られるか不安でした。しかし、26.3キロの私の荷物でさえ、通常通り通してくれました。ドキドキしたけど本当に良かったです。北京に来るまでは北京を去ることが名残惜しくなるとは思ってもみませんでしたが、複雑な気持ちになり、またここを訪れたいと心から思いました。飛行機で日本へ向かう間、大連を経由しましたが、中国での生活に慣れすぎて、日本での生活が想像できませんでした。

  広島空港に着いたら郭先生が出迎えてくださって他の子たちの親御さんたちも来られていました。みんなで軽くまとめをし、修大の子たちはこれからのことを伝えられて、記念撮影をして解散しました。私は同じ大学の子が一人もいないので、ここでみんなとお別れすることとなりました。みんなに「頑張ってね。また会おうね。」と言ってもらえてすごく嬉しかったです。色々とありましたが一つの大きなことをみんなで乗り越えられたことでやはり何か大事なものを得ることができたと思います。みんなと出会えて本当に良かったと思います。

  ゴンダオともしっかりお別れをして私はリムジンバスで広島バスセンターへ向かいました。たまたまシャーユエンのゼミの先生と一緒になり、いろんな話を聞かせていただきました。他の大学の授業の感じや、インターンシップの裏情報など、ほかでは聞けないようなことが聞けて楽しかったです。この留学では、最後まで素敵な出会いがたくさんありました。どれもかけがえのないものですが、改めて出会いと別れの繰り返しを感じ、こうやって人生を歩んでいくのだなと感じました。シャーユエンの先生は先に降りられて、バスセンターの中で、一人で松江行きバスを待っているとき、思わずコンビニでおにぎりを買い、また和菓子屋さんで苺大福を買いました。日本人である私にとって、日本食が一番あっていることは言うまでもありません。本当においしく感じました。また、それらを買った時の店員さんの反応や乗車券を買う時の係りの人の姿勢は本当に暖かくて、「お疲れ様でした。ありがとうございました。」という些細な言葉でも、ずっしりと心に響きました。日本へ帰ってきた実感が湧きました。また、知らない人同士でも譲り合って微笑みあう、そんな文化が私はやっぱり大好きです。忘れかけているその習慣を早いうちに取り戻せたらいいなと思います。とはいえ、文化に優劣はありません。その地にあった文化が発達しています。私は日本人であることを誇りに思いつつ、ほかの文化に柔軟に対応していけたらいいなと思いました。

  松江に向かっている途中、色々と今回の留学について考えていましたが、思い出すのは楽しいことばかりで、考えれば考えるほどまた行きたいなと思いました。リスニング力やスピーキング力に加え、総合的な中国語力やコミュニケーションスキル、異文化理解力も大分身についたと思います。長いようで短い一ヶ月でしたが、たくさんの収穫がありました。これらの経験は私の人生をより充実させてくれると思います。(完)

今回のスケジュール:


  午前中 午後
2月25日(水)             到着
2月26日(木) 大学散策 北京烤
2月27日(金) 試験 クラス分け発表、北京大学
2月28日(土) 天安門広場・故宮・景山公園・王府井
3月1日(日) ホームステイ
3月2日(月) 授業  
3月3日(火) 授業 映画,汉语桥
3月4日(水) 授業 公园
3月5日(木) 授業 汉语桥
3月6日(金) 授業  
3月7日(土) 万里
3月8日(日) 餃子パーティー
3月9日(月) 授業  
3月10日(火) 授業 开放大学訪問,汉语桥
3月11日(水) 授業 お茶の講義
3月12日(木) 授業 798芸術区,汉语桥
3月13日(金) 授業 日本語専攻交流会
3月14日(土) 天津旅行
3月15日(日) 盧溝橋
3月16日(月) 授業  
3月17日(火) 授業 阜城門,西
3月18日(水) 授業  
3月19日(木) 上海へ移動
3月20日(金)
3月21日(土) 上海
3月22日(日) 北京へ移動
3月23日(月) 授業  
3月24日(火) 試験  
3月25日(水) 試験 頤和園
3月26日(木) 授業 お別れ会,西
3月27日(金)   北海公园
3月28日(土) 帰国

30日目

2015.3.26  30日目


 今日は最後の授業に行きました。何をするのかと思っていましたが、いつも通り授業をしました。でも、前半は特に文法事項も少なかったので、さらっと単語を通してあとは話しました。初めの方ではできなかった会話を全員ができるようになっていて先生が言っていることもきちんと聞き取れるようになっていました。みんなで大きく進歩したことが本当に嬉しいです。後半も、少し本文をまとめて、それが終わるとすぐに会中心に行きました。みんなでご飯を食べるためです。



B16班は二つのテーブルに分かれて座って楽しく話しながら食べました。私はおばあちゃん先生の隣でなんとか話すことができて、その先生の経歴を聞いて印象が変わり、もっと話したかったのですが、中国語が出てこなくて難しかったです。またもっと話すことができたらと思いました。みんなでいっぱい写真を撮って、私はいつもギリシャのおじさん学生の隣でずっとひっついていたのですが、文化の違いを超えて逆に心地よかったです。このような体験はここにこないとできなかったと思います。ともに苦楽をともにした国境を超えた仲間との最後の別れの時、少し悲しくなりましたが、それぞれが自分の夢に向かって歩いていくことを応援したいなと思いました。本当に素敵なメンバーだったので絶対に忘れません。最後に米拉,多利,波天とハグをして微笑みあったことも私にとってはすごく貴重な経験でした。違う国の人と英語以外の言語で触れ合えたことは本当に素敵な経験で、より一層言語が好きになりました。みんなの笑顔を糧にこれからも頑張っていこうと思います。

 みんなと別れてからは一旦寮に帰って荷物を置いてから超市へ行きました。これがきっと最後の買い物です。このスーパーにはたくさんお世話になりました。北京のお菓子をたくさん買って帰りました。日本にいるみんなにもこの美味しさが伝わるといいなと思います。

 そのあとは王欣先生と丁先生と丁先生の奥さんとでご飯を食べに行きました。17:00に西集合だったので16:00すぎに寮を出て地下鉄で向かいました。今日は迷うことなくいけました。途中で英語圏のどこかの国のおじさんがすごく揺れる地下鉄で私を何度も支えてくれて、また人の優しさに触れることができました。本当に嬉しくて私が降りるとき何度もお礼を言いました。やっぱり人と国籍はあまり関係ないなと改めて思いました。西はたくさんの乗り換えがあり、何号線のホームで待てばいいのかわからず、とりあえず乗ってきたホームで待ちました。やはり先生たちは違うホームにおられたようでしたが、私を探してくださって無事会うことが出来ました。

携帯電話が使えないのが少し不便に感じましたが、これもまた海外らしくていいなと思いました。お店を決めてから王先生と合流し、たくさんご飯を食べました。料理を食べた後、食パン一斤分のデザートをほぼ一人で平らげました。これまでにないほどたくさん食べましたが、青島ビールも飲み、満腹感がわかりませんでした。楽しかったけど自分の食欲に驚くばかりでした。王先生に会うと急に島根大学を思い出して少し恋しくなりました。でも今はあまり帰りたくありません。やっと授業のほとんどを理解できるようになったし、北京での生活にも慣れてきた頃なのにここを離れるのが寂しかったりします。本学生の友達もでき始めていたので、もう少しいたらもっと楽しいだろうにといつも思ってしまいます。中国にいるのは明日1日だけですが、大事に時間を過ごしていきたいと思います。王先生と別れた後はまた地下鉄に乗って帰りました。地下鉄にも慣れ、一人で乗っても全然怖くありませんでした。振り返ると大きな変化です。この留学を通して得たものは計り知れません。この一瞬一瞬を大事にしていきたいです。



29日目

2015.3.25  29日目


 今日は10:10から口頭の試験があったので、少し早めに起きて発音の確認をして支度をしました。先に口頭試験を済ませた友達曰く、教科書の内容というよりは、そこから応用の形で質問されるからあまり根つめて勉強すると逆に困ってしまうかもと言われていたので、内容を少しと主に発音を重視して勉強しました。10時ごろの教室に着くと、ドイツ、アルゼンチン、イタリア人の学生三人が授業をしていて驚きました。本当は今日も8001000に授業があったみたいでしたが、うまく情報が伝わらず日本人組は一人も来ていませんでした。少し恥ずかしかったです。明日も授業があることをみんなに伝えてくださいと言われ、私はできるだけ多くの人に情報を回しました。この時に初めてドイツ人の学生さんと話しましたが、すごく美人で直視できないほどでした。少しドキドキしながら一人で口頭試験の先生を待っていると、すぐに来られて、紙を多くの中から一枚選ばされました。そこにはお題とそのテーマが書かれており、10分間そのことについて考えなさいということでした。10分後試験が始まりました。試験の内容は以下のような感じでした。

1. 5つの中文を朗読すること
2. 教科書の内容に沿った質問に対して、個人の意見で答えること(5問ほど)
3. 先ほどの10分で考えたこと発表すること

思っていたよりも先生がゆっくり話してくださったので、質問は全て聞き取ることができました。ただ緊張したのは、自分の発音だけです。先生は意味さえ通じれば何も言いません。自分でなんとなく間違っている気がしても、発音に関してはスルーされるので、そこだけが不安でした。

 試験はすぐに終わって、私なりには良く話せたかなと思ったので、満足しながら逸夫楼を出ると、真正面のベンチに同じクラスの学生たちがいました。ドイツ人の米拉、アルゼンチン人の多利(ヴィクトリア)、イタリア人の波(レディツィア)でした。私は迷うことなく駆け寄り話しかけました。最後のチャンスかもしれないと思ったからです。するとみんな優しく微笑みかけてくれました。特に米拉はドイツ人ということもあり大人っぽくて私の気質も理解してくれていたので話しやすかったです。普段のクラスの中では私は積極的に話すタンティエンとは対照的に、すごくおとなしく見えていたと思います。あとの2人はフランクな感じでタンティエンみたいな人たちでした。話すときは基本的に中国語で話しました。ほとんど米拉と話しましたが、ドイツ人としかも中国語で会話が成り立っていることに感動し、やはり言語の凄さを感じずに入られませんでした。また彼女の美しさに見とれてしまい、これまでにないほど幸せな気分がしました。明日は授業の後にクラスの食事会があります。その時には少しドイツ語も話してみようかなと思います。

 食堂でタンティエンとゴンダオを待って一緒にご飯を食べました。プリペイドカードの残高をなるべく少なくして帰りたかったので三人で色々と考えながら注文しました。私はあと14元残っているので、一食とソフトクリームが食べられるかな?くらいです。今思えば食堂のご飯の値段はすごく安かったのです。だいたい一食10(200)で食べられるので、日本と比べると半分以下かもしれません。もうすぐ食べられなくなる本場の中国料理をゆっくりと味わいながら食事をし、そのあとは2人とは別れ、私は丁先生の奥さんと頤和園に行くことになっていたので、その支度をしました。他の子たちは先週の日曜日に行っていますが、私は上海から帰ってくるところだったので行けてなかったため、今回行かせていただくことになったのです。

14時に北宫门集合だったので13時過ぎに出発しました。余裕があると思っていましたが、2回も乗り間違えてしまって大幅に時間を使ってしまいました。でも、すごく感心したのは、北京の地下鉄はとても発達しているので、間違えても待ち時間もあまりかかることなくすぐに戻れてすごく便利だということでした。改めて北京の発達を直に感じました。14時ごろ北宫门につき、奥さんと合流して頤和園を目指しました。先生の奥さんは私と感性が似ていて、奥さんが見せてくれるところはどれも私にとってもすごく好きなものばかりでした。例えば、瓦の上にいる神様や動物、満開の桃の花とその奥に見える古典的な橋、古い故事のある建物や銅像、歴史観あふれる建物、そして特に今日は「Dragon Lady」という言葉をたくさん使って案内してくれました。Dragon Ladyとは、乾隆の時代の皇后様のことで、光緒皇后という人のことだそうです。頤和園の中の一角に龍と不死鳥の銅像がありました。当時政治を動かしていた重要な建物の前にあり、その意味は、不死鳥が女性を表し、龍が男性を表して、龍が不死鳥よりも高く飛ぶことから男性優先をうたったものだそうですが、Dragon Ladyはその男性をも超える女性を意味しているようにも見えます。それを聞いた時は感動しました。

 頤和園は大きな公園で大きく3つの部分に分かれます。中でもとりわけ重要なのはさっき書いた皇后様が生活なさっていた部分です。また、頤和園には昆明湖という人工の湖があり、そこから見える眺めは最高でした。また盧溝橋と似ている十七孔という橋もあって雄大な感じがしました。ゆっくりしたいときにくるとすごくいいと思います。たくさん歩きましたが、疲れも感じないくらい私にとって印象深い場所でした。皇后様が通ったという通路にも行ってみましたが、やはり中国文化は趣を重要視しており、どこもすごく趣深かったです。残念ながら時間が遅かったためにいけなかった部分もありましたが、運のいいことに、最後に日本が日中戦争前に中国に送った軍艦を見ることができました。錆びていて歴史を感じましたが、そう遠くない歴史であることや実際に起こったということを冷静に考えてみるとなんだか心が痛くなりました。これからの日中関係を変えて行くのは私たちの世代です。いつか分かり合える日がくることを切に願っています。


  頤和園を歩くとき、私は一生懸命中国語を使う努力をしました。授業のおかげで話しやすくなったのです。奥さんが聞き取ってくれた時はすごく嬉しかったです。私の将来の相談も中国語でさせてもらい、奥さんのアドバイスも聞き取れました。私自身すごく成長したと思います。頤和園での旅は私にとっていろんな意味で盛りだくさんでとてもいい経験になりました。


 帰りにご飯を食べに行きましたが、頼んだものがすごく辛くて久しぶりに唇が痛くなりました。でもこれも中華料理だと思えばなんだかこれ食べることができてよかったなと思いました。

 奥さんと別れてからはすぐに寮に戻ってすぐに寝ました。テストが終わった達成感と頤和園への満足感で嬉しくなりながら眠りにつきました。