2016年留学 10日目

201634() 留学十日目
 
  今日も相変わらず空気はとても悪いです。マスクが欠かせません。北京市民の皆さんも結構マスクをしておられます。島根のきれいな空気が恋しいです。
 今日は午前中授業を受けた後、午後は盧溝橋に行きました。世界史でも日本史でも登場する盧溝橋事件については、日本軍と中国国民党革命軍がここで衝突し日中戦争の引き金となってしまった、ということを中学・高校時代に授業で習いました。



 まず最初に盧溝橋に行く前に、記念館を訪れました。ここには日中戦争の時の多くの資料が保存されていて、日中戦争やその後の中国が歩んできた歴史を知ることが出来ます。ここまで日中戦争と書いていますが中国では日中戦争とは言いません。「抗日戦争」と呼びます。また盧溝橋事件も「七七事変」と呼んでいます。
 ここでまず、中国側がいかにして日本軍と戦ったのかがパネル展示などで示されているのを見ました。抗日戦争時に身につけていたものが展示されていたり、多くの書簡や当時の新聞も展示されていました。驚いたのは、日本語の資料が多いことです。特に戦時中、日本国内の新聞社が国内に戦況を知らせていた新聞をここでいくつも見ました。当時の日本側はどんな様子だったのかを展示しているのだと思いますが、資料の説明は特になく、中国語訳もされていなかったのでどういう意図なのかは分かりかねました。日本軍に勝利した作戦についてはプロジェクターでジオラマに映像を映して紹介していたりしたので、状況が一目で分かるようになっており、どんな風に作戦が進められたのかがとても理解しやすかったです。

 ここで「やっぱり中国の資料館だな」と感じさせられたのは、共産党に関する資料展示がとても多いということです。日本では、実際戦ったのが国民党なので盧溝橋事件直後の共産党について知っているような人はなかなかいませんが、ここでは共産党が抗日義勇軍を全国で組織し戦ったことが最初から事細かに説明されていました。また南京政府が日本のとの交渉妥協しようとしたことに強く反発し、反対宣言をした文書なども見ました。とにかく毛沢東関連のパネル展示が多いな、と多くの日本人がここに来た時きっと感じると思います。
 また、民間人の戦争に協力した人たちの中で特に行動が評価されている人は英雄として讃えられ、展示コーナーが設けられていました。名前が分からなかったのですがある女性が「英雄之母」として胸像が置かれているのを見て、日本じゃこういう展示はそうそう見ないな、と思いました。日本の戦争資料の博物館では民間人は「巻き込まれた犠牲者」として紹介されることがほとんどです。戦争そのものを肯定しないので、自分の国の軍に協力したことを評価するような展示がまずありません。民間人が民間人を助けた話なら聞いたり展示がされてあったりします。こういう自分の国が関係している戦争への意識の違いが日中間であるのかな、と思いました。

 展示を見ている中で一番見るのがつらかった展示は「南京虐殺」で殺戮に巻き込まれた民間人の写真でした。日本ではあまりにショッキングな写真には規制がかかるので目にすることがほとんどありません。なので暴行を受け亡くなった人々の写真は初めて見ました。あまりに痛ましい写真が多かったので一緒に行った他のみんなもショックを受けているみたいでした。特に子供の写真は見ていてすごく胸が痛くなりました。中国の人たちからすると、「こんな酷いことが出来るなんて、日本人は恐ろしい」とでも思われているのでしょうか。もしそう思われていても何も言い返せないな、というくらいに凄惨な写真でした。日本の教育では私達若者に何があったかは教えてくれますが、当時のむごい現実を突き付けてくるようなことはしません。だから現実味もわかず、歴史認識が甘くなっているのかもしれません。
 その後は世界大戦後共産党政権へ権力が移り変わり、国内の様子が変わっていくその変遷が紹介されていました。パネルには多くの共産党の中核を担う人々の写真があり、引率の中国人学生さんが急に「ねえ、習近平は分かる?」と聞いてきたので、もちろん知っているけどそれがどうしたのかと聞くと、「これは彼のお父さんだよ」と一枚の写真を指さして教えてくれました。親子ともに共産党の重要人物なのだとこの時初めて知りました。
 最後は日中の和平に関する展示がありました。天皇の御言葉をはじめ、田中角栄元首相など日中の関係回復やその後の関係維持に貢献した政治家たちが紹介されていました。平和を望むのはどの国も同じなのだな、と感じました。

 記念館出口に来館者のメッセージをTwitterのタイムラインみたいに見ることが出来るモニターが設置されていました。そこには大体「歴史を忘れない」みたいなことを書いている人が多かったのですが、「中国大好き」とか「中国万歳」みたいなことを書いている人もしばしばいて「钓鱼岛(魚釣島)や他の領土が早く返還されますように」と書いてあるのを見た時には、ちょっと複雑な気分になりました。
 記念館を出た後は皆でその盧溝橋を歩きました。橋自体は元時代からあり、狛犬見たいなものが手すりの柱に付いている装飾されたきれいな橋です。こんなところで軍と軍の衝突があったのかと思うと、悲しい気持ちになりました。


 今日は日中の歴史認識の差や、中国の歴史の描き方が少し分かりました。正直読めない資料もたくさんあったので理解しきれていないところもたくさんありますが、お互いに歩み寄る為に若者の意識の差を縮める必要があるな、ということはとてもよく分かりました。日本に帰って家族にもここで見たものの話をしたいな、と思いました。

投稿者:岡 明歩

編集者:丁 雷

3 件のコメント:

  1. この日は、盧溝橋と盧溝橋事件についての資料館を訪れていますが、日本と中国の歴史を学ぶ上で、とても意味のあることだと思います。日本側の歴史認識と中国側の歴史認識双方について学ぶことで、より歴史を深く学ぶことができると思います。そのような意味で、中国で歴史資料館などを訪ねるという経験は、貴重なものになるでしょう。

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  2. A163077 森

    盧溝橋事件は、高校時代にほとんど歴史を勉強する機会がなかった私でも記憶の片隅にあります。1つのことを両方の国の目線から見るのはとても大切なことだと思います。幅広い目線を持った人になりたいと思いました。
    また、空気が汚いのは慣れていないのでマスクを持っていきたいと思います。

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  3. E174177

    悲しいことですが、はっきり言って、現代人の多くは戦争で何があったのかという事実を知らない現状があると思います。私もその1人です。学校で習うことはほんの一部分でしかないということを、テレビなどをみていて痛々しく感じることがあります。毒ガス兵器をなんの罪もない村人に浴びせ村を全滅させただとか、この間は慰安婦についてテレビでみましたが、赤ん坊を抱えた女性を軍とともに歩かせたが赤ん坊が泣いたために谷に放り投げ、女性もそれを追いかけて谷に飛び込んだなどのあまりにショッキングすぎる内容に、もっと日本人は知らなければならないことがたくさんあり、過去を過去として目を背けないほことが大切だと思いました。「終わったことなんだからもういいじゃん、現代は現代だし」といったような考え方をもった若者が少しでも減り、過去は変えることはできませんが、事実を知った上で互いを理解し合うことが大切だと思います。

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